スポーツカーに乗る理由を自問自答

路上に止まっている白いGRヤリス

今回は運転歴42年(2023年時点で)の『理屈コネ太郎』がスポーツカーに乗り続ける理由を自問自答する。

結論を先に述べると、『理屈コネ太郎』がスポーツカーに乗る理由は現時点では以下の2点に集約できると思う。

  1. スポーツカーに乗ること、運転することがカッコイイ行為だと思える
  2. スポーツカーで運転に没頭すると頭の心の霧が晴れるような気がする。

この2点に辿りつくまでには長い長い苦難の道程があった。

殆どのクルマ好きと同様に、『理屈コネ太郎』の乗り物人生はモーターサイクルから始まった。そしてそれは丁度思春期の事とバッチリ一致してしまう。

思えば、16歳のころ、異性にモテるには楽器をやってバンドを組んだりするか、クールなモーターサイクル乗りになるか…の2つの方法しかないと勘違いしていた。

勉強も、スポーツも、外見も人並みな私に与えられた2つの道。

当時の『理屈コネ太郎』にはバンドでもライダーでもどちらでも構わなかったのだが、ある映画が私にモーターサイクルを選ばせた。

1968年のイギリス・フランスの合作映画『あの胸にもういちど』(詳細は”ココ”をクリック)だ。主演はアラン・ドロンとマリアンヌ・フェイスフル。

教師と学生の関係にある2人が恋愛関係(不倫っぽい)にあり、房事の後らしきベッドの中で、オートバイについて熱く語るドロンをウットリとマリアンヌが見つめるのだ。

『理屈コネ太郎』はついうっかりこの映画を真に受けてモーターサイクルを選んでしまった。

そうか、モーターサイクルは女性を魅了するのか。そう刷り込まれての決断だ。

そして最初のバイクはヤマハXJ400。

当時流行の直列4気筒DOHCエンジンをダブルクレードルフレームに積み、フロントはダブルディスクブレーキ、リアにもディスクブレーキがついていた。

あれ、リヤはドラムだっかなか?

とにかく、16歳の子供には分不相応に贅沢なマシンであった。

しかし、しばらくすると、どうもモーターサイクルやライダーでいることは異性から特段もてる理由にはならないってことがわかってきた。

その頃、周囲のイケてる連中は”サーファー”と呼ばれるファッションに没頭していて、どうやらこういった人達が結構ロマンスを愉しんでいるらしいことに感づきはじめた。

しかし、そこからファッションに目を向けるのもなんだか”軽い”気がした。だってサーフィンやってないのにサーファーって名称のファッションが理不尽だし。

なにより新規参入者なので分が悪い。いちから勉強しなきゃならない。

そういうい事もあって、モテている男女を横目でみて僻みながら、モーターサイクルで走りまわっていた。

時代は丁度3ナイ運動の頃。免許を持たせない、モーターサイクルを持たない、モーターサイクルを運転させない…だっけ? 暴走族や多発する事故などにより社会的にモーターサイクルが悪者認定されていた。

モテない僻みと若い鬱屈とエネルギーの行き場のなさを、XJ400は受けとめてくれた。

どこまででも私をつれていってくれたし、気持ちがどうにもならない夜にずっと私に付き合って走ってくれた。

尾崎豊のずっと前。

だから尾崎がシーンに登場したとき、彼の歌に落涙したし、今でも聞く度にじーんとくる。

『理屈コネ太郎』はその頃は周囲の大人たちに恵まれていて、モーターサイクルの乗り方や、改造やカスタムのメリットとデメリットについて色々と教えて貰っていた。

なので、ハンドルバーを体型に合わせて交換しただけで、他は全てノーマルだったから、モーターサイクルが壊れるとか、調子が悪くなるとか、そういう事は全くなかった。

XJ400は本当によく走ってくれた。若かった頃のモヤモヤや爆発寸前のあの得体の知れない衝動を受け止めてくれた。

当時はあまり意識していなかったが、走る機械であるモーターサイクルが『理屈コネ太郎』の頭と心の霧を晴らしてくれていた

この体験が、今日までつづく乗物人生の原点

世に呼ばれる暴走族の気持ちも『理屈コネ太郎』にはわかるような気がする。

彼らにも、処理しきれないモヤモヤや爆発寸前の衝動があるのだろう。

だって世の中は嘘と欺瞞だらけだ。

エライ人達の言う事はみんなポジショントークばかり。

社会で生きるという事は、ホンネとタテマエを上手に使い分けるということのように思えて、そんな人の世に一種の嫌悪を誰だって抱くものだ。

ただ幸い、『理屈コネ太郎』の両親は私が乗りモノに没頭するのを受容してくれたし、周囲に導いてくれる大人たちがいたし、私がそもそも集団行動に向いていないし、”サーキットの狼”や”赤いペガサス”を読んで速く走るのがカッコイイと小学生から思っていた事もあって、”族に入る”よりもXJ400でハングオンする事の方に興味があった。

異性にもてるのとは別種のカッコ良さを風吹裕矢やケン・アカバに見出してしまっていた。

XJ400のあとは、クルマやモーターサイクルを速く走らせるカッコ良さの体感と、頭と心のモヤモヤを晴らすために、色々なモーターサイクルやクルマに乗った。

そんなあるとき、”サーキットの狼”も”紅いペガサス”もフィクションであり、作者とその周辺が商業的な成功を目論んで創作していた事に気が付いた。

子供の頃から目指していた運転する事のカッコ良さは、誰かが商業的に作ったフィクションに過ぎない。

運転するカッコ良さなんてでっち上げで、自分の思い込みに過ぎなかったのか?

そんなもの存在しないのか?

しかしすぐに、「いやいやいや、速い人の運転操作を助手席で見たときに、ああ、こんなふうに自分も巧くなりたいなあ」って思った自分が現実にいたよね?

実際に自分でカッコ良いって感じたよね?

との心の声。

そもそも本当にカッコ良さが存在するから虚構の塊でも作品として成立するんじゃね?

とも。

そこからが、自分で運転のカッコ良さを見つける道程になったように思う。

カッコ良く運転したい。だから、タイムを削る動機ってのがあまり湧いてこない。

頭と心のモヤモヤを晴らしたい。だから、色々と周囲に気を遣う競技に興味が湧いてこない。

そお、賢い読者はお気づきだろう。もう完全に独りよがりなのだ。

独りよがりは基本的にカッコ良くない事が多いが、それは自己顕示欲や承認欲求が絡んでいるからで、独りよがりも”この世に己ただ一人”を前提に核心を求めていくとカッコ良くなる。

そんなカッコよさを誰が評価するかって? それは勿論、自分。

例えばこんな感じ。

通常の業務処理能力は人並みだけど、休憩時間においしいお茶を淹れてくれたり、ちょっと珍しい美味なお菓子を差し入れしてくれたりする会社の同僚の人。

よく考えると、なんか、カッコ良くない?

そりゃ、通常の業務処理能力も高ければ申し分ないけれど…

ギャップ萌えってヤツなのかな?

ただ、通常業務処理能力が低いと、お茶を淹れたりお菓子選んだりする資源を仕事に回せって周囲に思わせちゃうから、カッコ良くないけど。

さらに、「自分、センスあるっしょ?」みたいなドヤ感を醸し出すと本当にカッコ悪い状況になる。

とまあ、そんな道程の現時点での相棒がGRヤリスって事。

悪目立ちせず、ただ『理屈コネ太郎』のカッコ良さの追及と頭と心の靄を晴らすために機能してくれるマシン。

私という迷い子(初老だけど)に確かな道標を与えてくれてありがとう。この時代の日本に生まれて最高に嬉しいよ。

読者の皆さんにも、それぞれのスポーツカーに乗る理由があると思う。

それを何かの機会に言語化しておくと、クルマが一層楽しくなるかも。

皆さんのスポーツカーあるいはモーターサイクル人生に幸あらん事を!

今回は以上ん。

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